江戸川

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ページ番号 1000821 更新日  平成27年1月30日 印刷 大きな文字で印刷

市の西方を流れる江戸川は、江戸時代初期に造られた川で、以前は太日川がもっと西より流れていました。
幕府は江戸やその周辺を水害から守り、新田開発を進めるために、当時東京湾に注いでいた利根川の流れを東に移し、現在の流路としました。
しかし、その後も利根川や渡良瀬川は、洪水のたびに流れを変えたので、新たに旧関宿町から金杉(埼玉県松伏町)までの約20キロメートルを開削し、新川を作りました。
これが現在の江戸川で、正保元年(1644)に竣工したと言われています。
この開削によって、東金野井と西金野井(埼玉県庄和町)、東宝珠花と西宝珠花(庄和町)は両岸に分かれ、地名から当時の様子をうかがわせます。
また、堤防上はサイクリングロードが関宿城博物館から松戸までの間で整備されています。

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