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木野崎城跡

ページ番号 1000794 更新日  平成27年1月30日 印刷

木野崎城跡の写真

木野崎地区の利根川に面した一画に、島のように孤立した台地が見られます。字名を『城下』、またその周囲には『新町・下町・本郷・下屋敷』などの地名や、『大門・倉庫・水牢等の跡』と伝えられる所もあり、市内で城下町が形成された唯一の史跡と思われます。
土塁や堀などの遺構を見ることはできませんが、周囲を湿地に囲まれた“天然の要塞”となった地形は、城があったことを思わせるような雰囲気です。
木野崎城主と伝えられている一色氏の系譜は、三河国幡豆郡一色に住んでいた一色公深から始まります。一色公深は、弘長3年(1262)10月23日に誕生し、元応元年(1319)に下総国下河辺ノ庄田宮(現在の埼玉県幸手市)の新地頭職に補されて、幸手城を築きました。そのご、一色は領地代えで下総の小文間(現在の茨城県取手市)、次いで木野崎村へと入り、この地に守護神の「荏柄天神」祀ろうと社殿を造営したと言われています。
木野崎城の築造年代については不詳ですが、そのころ木野崎城には一色の流れを汲む一色数馬という者が居たそうです。しかし、天正18年(1590)に豊臣秀吉によって小田原城が攻略される前後、木野崎城も落城、数馬は祈願寺であった真福寺(現在の野田市大殿井)に入り、自殺したと言われています。
最近の調査で、愛知県鳳来町の神社から、元禄11年(1698)に木野崎村から一色数馬直興なる人物が、長篠村(鳳来町)に移り、神社を建てたことが記された棟札が見つかっています。

  • 所在地
    野田市木野崎字下町

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