シリーズ23 清水公園開設までの物語

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ページ番号 1041025 更新日  令和6年4月1日 印刷 大きな文字で印刷

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千葉県営軽便鉄道(現在の東武野田線)の観光案内
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聚楽園(現在の清水公園)で桃が名産として紹介

野田の魅力を発見!!

清水公園といえば桜が有名です。平成2(1990)年には、日本さくらの会が選定した全国の桜名所のうちの100か所に選ばれた、全国有数のお花見スポットです。今回は桜が植えられた経緯を、公園の歴史とともに紹介します。
明治27(1894)年に開園した清水公園は、野田で醤油醸造業を営む柏屋5代目の茂木七郎右衛門(柏衛)によって設立されました。開園当初は「聚楽園(現在の清水公園第1公園付近)」と呼ばれ、春になると桃の花が一面に広がる風光明媚な場所でした。渋沢栄一や大町桂月などの文人墨客も訪れ、さまざまな紀行文や短歌、詩歌などが残されています。同園は、当時の観光案内(明治44年以降)にも桃の名所と紹介されています。桃の栽培は、岩名を中心に、江戸時代の中頃より昭和の初期頃まで行われ、醤油やせんべいと並ぶ野田の名産品でしたが、市場に甘い海外種の桃が出回ると、在来種の野田の桃は次第に衰退していきました。
清水公園の桜が植えられた記録は、清水公園を管理運営する千秋社に昭和2(1927)年と残され、その2年後には、本多静六(林学博士、造園家)の設計で自然公園として大幅に拡張開園(現在の第2公園)されました。本多静六博士は日比谷公園や大宮公園などの各地の都市公園の設計・改造や明治神宮の森の育成に携わった、日本の公園の父とも言われる人物で彼の設計によって清水公園は、今日に至るまで多くの人々に親しまれる場所となっています。ちなみに、当初「聚楽園」として開園しましたが、所在地が旧清水村だったことから、いつからかは不明ですが、清水公園と呼ばれるようになったそうです。
現在、園内の桜は、約2,000本に増え、清水公園駅から公園にいたる沿道の170本の桜並木や、隣接する金乘院の樹齢およそ130年を越える古木の桜など、周辺にもたくさんのお花見スポットがあります。また、長い期間お花見を楽しめるようにソメイヨシノだけでなく、しだれ桜や八重桜など、50種類の桜の植え付けを、千秋社では行っているそうです。そのほか、公園の管理・運営以外に、県外の山林の保全も行っており、かつてはフィールドアスレチックの材木はそこで育成した木を使用していました。自然を大切にし、これからも長く愛されるためにいろいろな工夫が施されてきた清水公園は開設から、今年で130年経ちます。今年のさくらまつりは4月7日日まで、つつじまつりも4月20日土から始まり、オオムラサキやキリシマなど約100種類、20,000株のお花見を楽しめます。また、園内には文人墨客の句碑がたくさん残されていますので、句碑を巡るのも、清水公園の風流な楽しみ方になっています。
【参考文献】『野田の桃源郷』野田市郷土博物館(2021年)、『野田の歴史』市山盛雄(1975年)、『本多静六博士通信第14号』本多静六博士を記念する会(2004年)、『生誕140年染谷亮作と川間村』野田市郷土博物館(2016年)、『日本林学界の巨星本多静六の軌跡』本多静六博士顕彰事業実行委員会(2002年)

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