安心寺歉年賑給中死亡五百有余人墓(あんしんじけんねんしんきゅうちゅうしぼうごひゃくゆうよにんぼ)

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ページ番号 1039530 更新日  令和5年10月30日 印刷 大きな文字で印刷

安心寺歉年賑給中死亡五百有余人墓

安心寺歉年賑給中死亡五百有余人墓は、安心寺に建立されている合葬墓で、「飢饉の年に、多数の人に食べ物を施しているうちに死亡した五百人あまりの人々の墓」という意味です。合葬墓が建立された時代背景には、江戸時代後期に全国的に起こった天保の飢饉があります。野田ではこの飢饉において食料と医薬を提供する御救いを行い、近隣の村落以外からも御救いを求めて多くの人々が来訪しました。来訪して御救いを受けるも亡くなってしまった方を弔うため、天保9年(1838年)に高さ約2.1メートルの墓石が建立されました。
令和5年に野田市の『有形文化財(歴史資料)』に指定されました。

所在地
野田市野田41  安心寺

交通アクセス
まめバス9南ルート愛宕駅、11南ルート(循環)「キッコーマン前」バス停下車徒歩4分

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