絵画「最後の御前会議」について

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ページ番号 1032582 更新日  令和5年7月26日 印刷 大きな文字で印刷

最後の御前会議
作者 白川一郎
完成 昭和46年(1971)

絵画「最後の御前会議」

最後の御前会議は、昭和20年(1945)8月14日に行われた御前会議です。

8月9日の御前会議において鈴木貫太郎は昭和天皇に「御聖断」を仰ぎポツダム宣言の受諾が決まりますが、国体の護持を巡り意見が分かれると、8月14日に御前会議を開き再度昭和天皇に「御聖断」を仰ぎポツダム宣言の受諾が決まりました。

絵画「最後の御前会議」の作者である白川一郎画伯は、制作に当たり入念な調査を行っています。

まず、御前会議が開かれた部屋「御文庫」に宮内庁の許可を得て特別に入室して背景をスケッチしました。服飾に関しては出席者またはその遺族を訪ね、会議当日着用していた服飾を当日の様子とともに調査して描いています。唯一、阿南陸軍大臣の軍服は終戦から日も浅く遺族の許可を得られず、残った写真を基にした様です。

また、当日の場景については、枢密院議長平沼騏一郎が緊急に呼び出されシルクハットを忘れてことを鈴木内閣文部大臣の太田耕造から聞き取ると、あえてシルクハット描かないなど、忠実な「最後の御前会議」の再現を目指しています。

白川一郎画伯について

白川一郎 明治41年(1908)生 平成6年(1994)没
 香川県生。昭和7年(1932)に東京美術学校西洋画科を卒業すると、同大学で講師を務め、光風会会員に推挙され、昭和17年(1942)に新文展で特賞を受賞。昭和21年(1946)「鈴木貫太郎肖像」を描き、鈴木貫太郎記念館の展示拡充に合わせ、昭和40年(1965)「8月9日の御前会議」、昭和46年(1971)「最後の御前会議」を完成させた。

最後の御前会議の並び順

ならびじゅん
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