権五郎目洗いの池
鎌倉の住人平景正(通称・鎌倉権五郎)は、「後三年の役」(1083から87)で清原武衡の部下の鳥海弥三郎に眼を射られましたが、豪勇にも自らその矢を抜いて戦い、そのあと知行地であった「めぶき」に立ち寄って傷を治したといわれており、それ以来「目吹」の地名が生じたという説話もあります。
また、「目吹」の地名は大化改新(645)以降、大宝律令(700)が施行される中で、牛馬を飼育する土地(牧場)を国が管理していますが、この地方一帯には馬牧であった「長洲牧」が置かれ、「馬夫給庁」という役所があったという説があることから、「めぶき」の地名が生じたといわれてます。
現在でも、雑木林の中にひっそりと、池は水をたたえています。
- 所在地
野田市目吹
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