シリーズ36 野田市章に込められた意味は

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ページ番号 1047900 更新日  令和7年5月27日 印刷 大きな文字で印刷

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原案
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現在使われている市章

野田の魅力を発見!!シリーズ「市制施行75周年の歴史(2)」

野田市章のデザインは、平仮名「のだ」の頭文字「の」を図案化したものです。説明せずとも誰にでも分かりやすいこのデザインには、「親睦」「融和」「団結」を意味し、「一線基盤のもとに一矢のごとく目的に向ってまい進する姿」が表現され、市の発展への力強い意志が込められています。
野田市章の誕生は、野田市の成立と密接に関わっています。昭和25(1950)年5月3日、東葛飾郡野田町、旭村、梅郷村、七福村の1町3村が合併し、千葉県下で8番目の市として、人口約4万人の野田市が誕生しました。5月3日を市制施行としたのは、この日が日本国憲法を発布した日であったからのようです。
市章は市制施行を記念して公募し、当時、君津地方事務所(現在の千葉県庁君津地域振興事務所)に勤める鈴木日出夫さんの作品が選ばれました。原案では下部も丸い円の一部でしたが、市の選考委員会で図案の下部を水平に座りのよいものにしたいと、鈴木さんに確認すると「ご自由にしてください」とのことで、承諾を得られたことから修正案の市章で、市制施行から半年後の11月3日に野田市章が制定されました。
1町3村の住民たちが新しい「野田市民」としての意識を共有するためのシンボルとして、単に旧野田町の町章を引き継ぐのではなく、合併によって生まれた新しい自治体の象徴として、「親睦、融和、団結」という理念を体現する市章が制定されました。その後、野田市は昭和32(1957)年に川間村・福田村と、平成15(2003)年には関宿町と合併し、市域を拡大してきましたが、野田市章は、市誕生時の理念と未来への意志を込めたシンボルとして、昭和25(1950)年の制定以来、市町村合併による市域の拡大や社会の変化を経てもなお、野田市を象徴するマークとして市民に親しまれ、さまざまな場面で活用されています。原案者の鈴木日出夫さんも、野田市章当選などを契機にプロのデザイナーとして出発し、その後、テレビや映画のタイトルライターとして活躍されたそうです。
【参考文献】富津市『広報ふっつ第103号』1980年、野田市『野田市報第827号』2000年、野田市『野田市報第903号』2003年、野田市『野田市報第905号』2003年、野田市『野田市報第907号』2003年

 

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