シリーズ37 故郷の旋律・野田市歌

野田の魅力を発見!!シリーズ「市制施行75周年の歴史(3)」
5月3日に市制施行75周年式典が執り行われ、野田市歌が市内小中学校の代表者によって歌われました。過去の市制施行記念式典でも斉唱されており、市役所庁舎では、令和3(2021)年6月1日から朝と昼に市歌の合唱が流されたり、小学校の副読本にも楽譜が掲載されるなど、大人から子どもまで親しみやすい曲調と、市の魅力が凝縮された歌詞が印象的です。
野田市歌は昭和25(1950)年の市制施行を記念して作られました。歌詞は県民から募集し、香取町(現在の香取市)の香取佳津見の作品に、コロムビア専属作曲家の古関裕而が曲をつけて、市制施行の半年後の11月3日に制定されました。古関裕而は、全国高等学校野球大会歌の「栄冠は君に輝く」や藤山一郎のヒット曲「長崎の鐘」、昭和39(1964)年の東京オリンピック選手入場行進曲(開会式)の「オリンピック・マーチ」など、約5,000曲を手がけた著名な作曲家ですが、古関に作曲を依頼した経緯は、史料が残っていないため確かなことはわかりません。
しかしながら、野田市合唱連盟の方からの伝聞では、古関と慰問楽団で行動を共にした声楽家内田榮一が野田市に疎開しており、県立野田高等女学校(現野田中央高校)、県立野田農工学校(現清水高校)などで教鞭をとっていたことや、昭和21(1946)年発足のキッコーマン合唱団を長年指導していたことから、市職員が内田に相談して、面識があった古関に作曲を依頼することができたという話を聞いたことがあるそうです。なお、内田も、福田中学校や南部中学校の校歌を作曲しており、著名な音楽家でした。
数多くの大ヒット曲を生み出していた古関は多忙な中でも、昭和25(1950)年10月27日に野田高等学校講堂での市歌2案の演奏指揮を行って、市歌が正式に決定されました。
郷土博物館には、古関裕而直筆の野田市歌原譜が保存されています。また、総務課では、野田市歌のピアノ伴奏付き楽譜を無料で配布しています。この機会に、75年前から歌い繋いできた市歌を、その誕生の軌跡に思いを馳せながら、楽譜を手に歌ってみてはいかがでしょうか。
改めて野田市の魅力を再発見できるかもしれません。
【参考文献】野田地方文化団体協議会『文協創立30周年記念誌』1978年、相浦秀也「野田市歌について」(『野田市史研究』第8号・1997年)、相浦秀也「野田市歌の誕生について」(『かつしか台地』15号・1998年)
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