シリーズ40 市制施行5周年を記念して市営野球場が完成



野田の魅力を発見!!シリーズ「市制施行75周年の歴史(6)」
野田で野球が初めて行われたのは、明治42(1909)年の野田尋常高等小学校(現在の中央小学校)の校庭だったそうです。昭和2(1927)年には、野田尋常高等小学校卒業生で組織された市内初のクラブチームが母体となり、日本軟式野球連盟野田支部が設立されるなど、戦前から野球は盛んに行われていました。
市営野球場(現在のSAN-POWスタジアム野田)は、市制記念事業として着手され昭和30(1955)年に完成し、施設は両翼91メートル、中堅119メートルで約1,600人を収容できる球場でした。
市制施行5周年の記念祝賀行事として、5月3日にプロ野球2軍公式戦の無料公開試合を開催しましたが、当日あいにくの雨で、2回表で中止となったので、6月2日に再試合が行われました。当時の新聞記事では、18歳で読売巨人軍の正規メンバーとなった馬場正平投手の初試合だったそうです。馬場投手はその後プロ野球を引退しプロレス界で活躍したジャイアント馬場さんです。
その後も昭和48(1973)年の国民体育大会(若潮国体)では高校軟式野球の会場としても使用されるなど、野球の楽しさを知り大きな夢を抱いた選手もおり、現在もなお、多くのプレーヤーが集います。
【参考文献】千葉新聞(1955年5月5日)、読売新聞(1955年5月5日、6月2日、6月3日)、野田市『遠ざかる風景野田市制施行40周年記念記録写真集』1990年、野田市体協記念史編集委員会『野田市体育協会創立50周年記念史』1997年、野田市野球協会『野田市野球協会創立50周年記念誌』1998年、野田市史編さん委員会『野田市史 資料編近現代2』2019年
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