シリーズ41 建築家・和田順顕と野田市の昭和モダン建築

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ページ番号 1047905 更新日  令和7年10月1日 印刷 大きな文字で印刷

2代目市役所の文字石盤は現在の市役所 16号線側に移設
2代目市役所の文字石盤は現在の市役所16号線側に移設

16号側

市役所正面にも同じ字体の文字石盤

第一中学校の南側立面図(上)、現在の第一中学校校舎は和田順顕建築事務所が設計監 理(下)
第一中学校の南側立面図(上)、現在の第一中学校校舎は和田順顕建築事務所が設計監理(下)

野田の魅力を発見!!シリーズ「市制施行75周年の歴史(7)」

 昭和25(1950)年に野田市が誕生した当初の庁舎は旧野田町役場を使用していました。かねてから新庁舎建設が望まれており、市制施行10周年記念事業として、ついに建設が決定しました。
 昭和34(1959)年3月の建設決定から、委員会が設置され、1年にわたり建設地、設計業者、施工業者などが検討された結果、建設地は現在の欅のホールの場所、設計監理者は株式会社和田順顕(じゅんけん)建築事務所、施工業者は郷土博物館を手掛けた竹中工務店に決定し、昭和35(1960)年3月に着工し、同年11月に完成しました。
 和田順顕(1889年から1977年まで)は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)卒業の建築家です。代表作には、近代化産業遺産である日本郵船横浜支店(現在の横浜郵船ビル)や慶應義塾大学北里記念医学図書館(現在の信濃町メディアセンター)などがあります。
 2代目庁舎は残念ながら現存しませんが、昭和38(1963)年に完成した、野田市立第一中学校校舎は和田が設計した建築物です。しかも現存し、校舎として使用されています。
 市内には、和田順顕や山田守、大森茂など著名な建築家が手掛けた建物がたくさん残っています。モダン建築が次々と建てられた昭和30年代の風景を想像しながら、まち散策を楽しんでみてはいかがでしょうか。
【参考文献】野田市『野田市報第58号』1959年、野田市『野田市報第71、74、75、78号』1960年、野田市『野田市報第90号』1961年、野田市『野田市報第105号』1963年、日本建築学会『建築雑誌Vol.90No1101昭和50年12月号』1975年、日本建築学会『学術講演梗概集』1989年、堀勇良『日本近代建築人名総覧』2021年

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