シリーズ47 野田の安全でおいしい水は今年で給水から103年目
野田の魅力を発見!!シリーズ
近代水道は、川や井戸から取り入れた水をろ過し、鉄管などを用いて圧力をかけて給水する仕組みで、現在の私たちが使っている水道と同じものです。日本で初めて創設されたのは横浜で、コレラの流行などを契機に、明治20(1887)年に給水が開始されました。
千葉県では、地下水や河川に恵まれた環境であることから、水道施設の整備が遅れ、昭和初期まで近代水道は十分に整備されていませんでした。そのような中、大正12(1923)年3月に野田醤油株式会社(現在のキッコーマン株式会社)が千葉県で最初の近代水道を整備しました。この水道は、醤油の品質統一と工場防火を主目的にしたもので、余剰水は住民の飲料水として供給されました。給水区域は野田町と梅郷村で、工場や住民約2,000人に給水されました。
大正14(1925)年当時の日本全国の水道の普及率は約2割であり、県内でも昭和5(1930)年給水の東金町(現在の東金市)、昭和8(1933)年給水の成田水道株式会社(現在の成田市)など、水道がある自治体は限られていました。
当初の水道の水源は地下水のみでしたが、昭和40(1965)年に江戸川から取水する上花輪浄水場が建設されました。しかし、民営の水道事業であったため、給水区域が市の中心部に限られていました。
昭和40年代になると、生活様式の変化に伴う水需要増加や浅井戸の水質問題、宅地開発に伴う新たな水需要に対応するため、市営水道事業の立ち上げが検討されます。昭和47(1972)年に川間駅を中心とする北部地域を対象に東金野井地先に地下水を水源とした水道事業の創設認可を得て、市営水道の早期事業化を目指しながら、市内水道事業を1本化するため民営水道の買収交渉を進めました。
昭和50(1975)年4月1日の市営水道給水開始と同時に、井戸施設を除く民営水道施設を買収しました。その結果、市は中心部を含めた一体的な運営が可能となり経営効率が向上しました。一方、企業側も工場で使う地下水を温存しながら水道事業から撤退できたので、双方に利点がある結果となりました。その後、人口増加や使用水量増加により、水源が不足したことから、県と県北西部の自治体で北千葉広域水道企業団を設立し、江戸川から取水・浄水した水を混合して野田市の各家庭に供給するようになりました。
関宿地域の水道事業は昭和53(1978)年に水源を地下水として創設され、その後、北千葉広域水道企業団からの受水を開始しました。平成15(2003)年の野田市との合併により、水道整備が進み、ほぼ全市域が普及区域となっています。
さらに、平成26(2014)年に高度浄水処理が同企業団で稼働したことから、不純物をろ過して取り除くだけでなく、オゾン処理や生物活性炭処理で、カビ臭の原因物質やトリハロメタンなどの原因となる有機物を大幅に除去できるようになり、より安全でおいしい水が飲めるようになりました。
しかし、世界中で水道水をそのまま飲める国は日本を含めてわずか9か国しかありません。野田市水道部では安全で安心な水道水を安定的に供給するための作業を日々取り組んでいます。
【参考文献】千葉県水道局『千葉県営水道史』1983年、朝日新聞千葉東葛版「野田醬油「給水塔」解体へ」2009年9月24日、北千葉広域水道企業団「水音」2014年、根本祟「野田市の水道の歴史」(野田地方史懇話会『かつしか台地』60号)2020年、東京都水道局『東京近代水道125年史』2023年、野田市水道部『未来構想水道ビジョン野田(経営戦略)』2025年
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