シリーズ51 海のない野田市に貝塚が密集する理由

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ページ番号 1052176 更新日  令和8年8月20日 印刷 大きな文字で印刷

野田の魅力を発見!!シリーズ

 海から遠く離れた野田市に50近くの貝塚があるのは、縄文時代の地球温暖化の影響があります。約6,000年前をピークとする縄文海進の時代は、今よりも温暖な気候で海の氷床が融けて海水面が上昇し、野田市の低地部分まで奥東京湾と呼ばれる穏やかな浅い海が入り込んでいました。
 この海岸は貝類の宝庫で、アサリやハマグリが採れました。その後、数千年かけて気候が冷涼になり、海水面が低下したことで海岸線が退くと、今度は周辺の谷が川や湖のような地形へと変化します。これに合わせて生息する貝は、淡水と海水が混ざる水域を好むヤマトシジミに変化していきました。
 縄文時代の野田には、水産資源が容易に手に入れられる環境があり、さらに周辺は、豊かな森と海が隣り合う地形で、衣食住において良い条件がそろっていました。海や川は交通路となり、舟を使えば遠方の地域とも行き来ができたと考えられ、他の地方の紋様を取り入れた土器が発掘されていることからも、人やモノ、情報が交差する拠点のような場所であったと推測できます。
 野田に残る貝塚は開発などによってどんどん減ってしまう危機にひんしています。
 一度失われた数千年前の遺跡は元には戻せません。文化財を大切に守り、野田の豊かな歴史をみんなで未来へつないでいきましょう。
【参考文献】野田市郷土博物館『開館30周年記念特別展「野田と貝塚」図録』1989年、野田市『野田市史 資料編 考古』2005年、野田市『グラフ野田No.49』2016年、野田市『野田市史 資料編 近現代2』2019年、千葉市埋蔵文化財調査センター(所長西野雅人)『謎に包まれた縄文文化繁栄の地-柏の縄文中期集落群』2024年
 

 野田市域貝塚分布図
野田市域貝塚分布図
 海であったと推定される範囲
海であったと推定される範囲

■野田貝塚の保存と実物を展示

野田貝塚の県指定史跡当時は、貝層の実物展示と出土物展示を行う先進的な展示施設でしたが盗難被害などのため陳列品は撤去しています

 野田貝塚の県指定史跡当時は、貝層の実物展示と出土物展示を行う先進的な展示施設でしたが盗難被害などのため陳列品は撤去しています
1936年撮影
 2026年撮影
2026年撮影

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