髙梨氏救し記(たかなししきゅうしき)
髙梨氏救し記は、天保の飢饉において御救いを敢行した代々の髙梨兵左衛門の功績を記した石碑で、天保13年(1842年)に建立され高さは110センチメートル、幅は86センチメートルあります。
(注)救し記の「し」は、「くさかんむり」の下に「<<<」の下に「田」
石碑に刻まれている撰文は納戸頭兼勘定吟味役羽倉用九(はくらもろちか)によるものです。羽倉は天明の飢饉時には上花輪村の代官を務めており、飢饉の際に髙梨兵左衛門から御救い実行の願いを許可するなど髙梨家による御救いを知る人物です。髙梨氏救し記には、髙梨家における救恤精神の構築からはじまり、天保の飢饉での御救いの様相、その功績への賞賛が刻まれています。
令和5年に野田市の『有形文化財(歴史資料)』に指定されました。
- 所在地
野田市上花輪507 上花輪歴史館 - 交通アクセス
まめバス 9愛宕ルート、11南循環ルート、12新南ルート「新下町」バス停下車15分
茨急バス 「香取神社」バス停下車徒歩5分
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