シリーズ15 野田の木造建築の多くを担った宮大工

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ページ番号 1038854 更新日  令和5年8月1日 印刷 大きな文字で印刷

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今年修復したばかりの上花輪香取神社の神輿
下総野田 愛宕神社
神輿の彫刻(拡大写真)

野田の魅力を発見!!

野田には優れた建築物がたくさんあります。社寺建築においては、立川流宮大工佐藤庄助則久・里次則壯親子が携わっています。山崎に居を構えた佐藤家は、幕末から昭和初期頃にかけ、三代にわたって宮大工を生業とし、初代の庄助則久は明治12(1879)年には皇居赤坂御所の造営にも関わったことからも優れた技術を持っていたことがうかがえます。醤油醸造家茂木七郎右衛門家にある琴平神社の本殿、手水舎、絵馬殿(いずれも国登録有形文化財)は庄助則久によるものです。2男の里次則壯は父のもとで修業を積み、27歳頃には棟梁を担い、その代表作には上花輪香取神社や醤油醸造家茂木七左衞門家の主屋(国登録有形文化財)などがあります。佐藤父子の優れた技術は建築物にとどまらず、彫刻が特徴の神輿にも発揮されています。
 今年6月18日、上花輪香取神社の神輿が約8か月の修復作業を終えました。大正14(1925)年製作の神輿は里次則壯のほか6人の大工と、飾りや彫物の職人らが腕を振るったことがわかっています。中でも彫物師の石川信光の作品は、現在の柴又帝釈天で見ることができます。修復に関わった地元の高根沢正雄さんは「百年近く経過し傷みも見られたので、皆で話し合って修復に出した」と言い、また、修繕を請け負った椎名正夫さんは、「宮大工の技術で実物の社殿そのままに作られた希少な神輿で、私が修復した中では特上のもの」と語ります。佐藤父子が製作に携わった神輿は野田市内に15基あり、野田に生きた立川流宮大工佐藤父子の匠の技とともに、醤油醸造により育まれた野田のまちの文化的な豊かさを今日に伝える貴重な遺産と言えます。
【問い合わせ】PR推進室(電話:04-7199–2090)
【参考文献】鈴木里行『野田に生きた立川流宮大工佐藤庄助則久・里次則壯』1999年

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