シリーズ25 たくさんの命を育んできた米づくりと田んぼ

野田の魅力を発見!!
米づくりには八十八手の手間がかかるといわれ、漢字の「米」は「八十八」という文字から作られた説があります。
1年を通した田んぼの作業は、田起こし(耕して肥料を入れること)や苗づくり(苗になるまでもみを成長させること)、畦ぬり(田んぼの周りの土をしっかり固めること)、代かき(水と土を混ぜ平らにすること)、田植え(苗を田んぼに一定間隔で植えること)、草取り(雑草を抜くこと)、収穫(稲を刈り取ること)、天日干し(稲を乾燥すること)、脱穀(稲から籾をとること)、籾すり(籾殻を取り除き玄米にすること)があり、手間をかけて大切に育てるからこそ、おいしい米ができます。地域ぐるみで共同して助け合う、地道な作業でした。
また、日本人の生活と経済を支えてきた稲作を中心とした、豊作への祈りや感謝を季節の行事や祭り、儀礼として、各地で受け継がれています。正月行事の飾りやお供えは豊作をもたらす年神様に対するもので、お花見も農作業が始まる季節の到来を祝った行事で、お月見も農作物の収穫を感謝するものです。日本の国技である相撲も、豊作を願い神様に奉納される神聖な行事として始まり、能や民謡も、稲作を起源とする伝統芸能として受け継がれてきました。また、田んぼは米を栽培するだけでなく、魚や鳥、昆虫などの食料捕獲の場所でもありました。ナマズやドジョウ、コイ、フナ、ウナギ、タニシ、カモ、イナゴは、人間にとって貴重な動物性タンパク源でした。
しかしながら、人がつくった自然の宝庫である田んぼは、農業の近代化による田植え機やコンバインなどの導入で、作業時間が大幅に短縮される一方、農薬の普及により生態系が崩壊し生き物が減ったり、姿を消してしまいました。最終的には、田んぼの生き物を餌にしていた、食物連鎖の頂点にいるコウノトリが1度は絶滅してしまいました。
現在、野田市は、減農薬農業を進めており、水田に玄米黒酢を散布(市内水田面積の約半分)しています。ドジョウやフナ、小魚、タニシ、ホタル、イナゴが増え出し、かつての多くの生き物が生息する豊かな生態系を回復しつつあります。さらに、今年の4月には、田んぼや湿地の食物連鎖の頂点に立つコウノトリが、野田の野生環境の中で、つがいになり、ヒナが誕生しました。これは、豊かな生態系が確実に野田市に戻ってきている証しです。
【参考文献】野田市史編さん委員会『今上・山崎の民俗』1995年、富山和子『お米は生きている』1995年、安室知『田んぼの不思議』2013年、丸山清明『お米の大研究』2015年、堀江武『イネの大百科』2018年、野田市『第2期生物多様性のだ戦略』2023年
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