シリーズ27 大正時代の歴史的建造物を令和でも現役で活用

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ページ番号 1042961 更新日  令和6年10月10日 印刷 大きな文字で印刷

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今年に初公開された夏障子
建築当時の茂木佐平治邸(現在の市民会館)の配置図
建築当時の茂木佐平治邸(現在の市民会館)の配置図
(注)赤枠内の建物は現在はありません。なお、赤枠の書院の建物は昭和28(1953)年に都内に移築され現在は芝生庭です。

野田の魅力を発見!!

現在、市民会館として使われている建物は、醤油醸造家の茂木佐平治家の旧邸宅として、大正13(1924)年ごろに建てられました。
 かつての茂木佐平治家(通称茂木佐家)は、本町通りに面した場所(現在の千葉銀行野田支店)にあり、市民会館の場所には同家の農場がありましたが、野田の髙梨家、茂木家と流山の堀切家ら8家の合同による野田醤油株式会社(現在のキッコーマン株式会社)の創立をきっかけに現在の地に新居を構えることになりました。その後に同社の所有になりますが、創立40周年の記念として昭和31(1956)年に野田市に寄贈されました。
 今年で建築から100年を経過しますが、建物の保存状態が良いのは、建築材料と施工の良さもありますが、旧所有者のたゆまぬ手入れに加え、大正から令和の現在まで大切に使い続けてきたからと想像されます。
 主屋と茶室は国登録有形文化財、庭園は千葉県初の国登録記念物となっていますが、見学のみの保存施設でなく、講座や講演会の開催、サークル活動や会合、勉強会、食事休憩、撮影などの貸部屋として利用もできる、文化活動の拠点として活用されています。
 7月13日、14日には、夏障子を特別公開しました。夏障子は、茂木佐邸で実際に使用されていたものです。エアコンのない時代に涼を求める和風建築の夏を象徴する建具は繊細な竹ひごで作られています。
【参考文献】まちなみ研究会『茂木佐邸物語』2022年、『野田市報』(第28号、第30号)、野田市郷土博物館『江戸時代の野田をいく』1998年、キッコーマン醤油株式会社『キッコーマン醤油史』1968年

 

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