シリーズ30 暗闇の夜を照らした鉄筋コンクリート柱の街路灯






野田の魅力を発見!!
文明開化の象徴の1つに、電灯照明があります。日本で初めての公衆街路灯は、明治15(1882)年11月1日銀座(東京都)に灯りました。モダンな西洋文化に触れようと、毎晩人々が見物に訪れたそうです。
電灯の評判は日本中に広まり、全国各地に電力会社が誕生しました。野田では、明治44(1911)年6月26日に野田電気株式会社が設立され、野田町や梅郷村の一部に電力供給を始めました。明治44年第1期事業報告などによると点灯数は952灯、夜間のみの火力発電でした。
古写真によると昭和初期には至る所に鉄筋コンクリート柱の街路灯が野田に設置されていたことが確認できます。上花輪香取神社の境内に残る街路灯には、スイッチを覆う金属蓋に「東京六郷三共電柱製作所昭和十三年」と記されており、堅牢で丈夫な鉄筋コンクリート造りは、当時モダンな技術で、高価なものでした。昭和初期のアールデコ調の意匠が凝らされたその外観は、現在では、レトロな雰囲気を醸し出しています。
時代を経て、新たな街路灯の普及により、失われていく鉄筋コンクリート柱の街路灯ですが、流山市で昭和31(1956)年建立のものが、戦後の住宅団地造成とともに住宅街に建てられた数少ない歴史的構造物として、国登録有形文化財に登録されているほど貴重なものになりつつあります。古くから夜道を明るく照らしてきた、野田のレトロ街路灯も、まちの歴史を物語るものです。市ホームページでレトロ街路灯マップを掲載していますので、散策してみてください。
【参考文献】『野田電気株式会社第1期事業報告書』1911年、大蔵省印刷局『官報』1911年7月1日、野田市『野田市の展望』1954年、松下邦夫『千葉県の電灯の歴史』1966年、野田市『野田市史資料編近現代1』2012年、流山市立博物館『流山市史研究第23号』2019年、野田市郷土博物館『まちの記憶ー写真でたどる野田・関宿の昭和30~40年代』2021年
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