シリーズ33 関宿通多功道(日光東往還)



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日光東往還は、鎌倉時代に鎌倉と奥州を結ぶ街道として利用されていますが、重要な役割を担ったのは江戸時代です。
徳川家康を祀る日光東照宮へ、後の将軍が参拝する日光社参が行われる際に、将軍の警備役(日光勤番)を勤める諸大名が通った道が日光東往還です。江戸幕府の公式文書では、関宿通多功道と正式名称が記されていますが、現在では、日光東往還や旧日光街道、日光脇往還、久世街道、結城街道とも呼ばれていますが、すべて同じ道を指しています。
江戸時代には、10か所の宿場が設けられ市内には山崎、中里、関宿がありました。普段は地域の人も利用する生活道路ですが、日光社参が決まると江戸幕府をあげての一大行事として1年前から念入りに準備が行われました。山崎宿では、日光東往還の最初の宿場として、千人を超える大名行列の一行が宿泊または休息した記録が残されています。
明治時代以降、道路拡張やアスファルト舗装など近代化されましたが、山崎宿の街道沿いにあった常夜灯(復元)や中里宿の本陣の痕跡など、江戸時代の街道風情を現在でも感じ取ることができます。
【参考文献】千葉県教育庁文化課『千葉県歴史の道調査報告書 5 日光東往還』1987年、木原徹也『日光東往還 東葛地方を通る日光東照宮への道』1994年、野田市『野田市史研究』25号2015年
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