シリーズ34 水上交通の要衝であった関宿の関所




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徳川家康は、天正18(1590)年に関東に入ると、江戸を水害から守り、年貢米や物資を江戸へ運ぶため、利根川の流れを東に移し、江戸川を開削しました。
関宿は北関東や銚子と江戸を結ぶ水運ルートの重要な拠点となり、江戸川入口には下流の洪水を防ぐ「棒出し」と呼ばれる石堤が築かれ、埼玉県側に関宿藩が管理した関所がありました。関所では、江戸川を渡る旅人だけでなく、船荷と乗客を改める役割もあり、関所周辺は、検査を待つ船と上陸した水夫たちでにぎわいました。
明治4(1871)年の廃藩置県後に、関宿城とともに関宿関所も無くなりましたが、蒸気船の寄航場としてその後も船運で栄えました。
水害を防ぐための大規模な河川改修を経たため、当時の関所の位置の特定はできませんが、関所の棒出しの石は、関宿城博物館や中の島公園などで保存管理されています。
地図を片手に、かつての関宿関所の位置を想像しながら江戸川土手沿いを散策するのもおすすめです。
【参考文献】関宿町教育委員会『関宿町町史研究創刊号』1988年、千葉県立関宿城博物館『千葉県立関宿城博物館研究報告 第18号』2014年、千葉県立関宿城博物館『令和3年度企画展図録関宿関所は川関所!?』2021年、千葉県立関宿城博物館『千葉県立関宿城博物館研究報告第26号』2022年、関宿古文書研究会『久世氏関宿藩史料集』2022年
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