シリーズ42 市制施行から20年後に国道16号一部が野田市に開通

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ページ番号 1047906 更新日  令和7年11月1日 印刷 大きな文字で印刷

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16号完成間近の様子で舗装が間に合わず、
砂利道での開通が予定されていた(昭和44年)
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完成直前に舗装が間に合った柳沢交差点付近(昭和45年)開通
当時は立体高架橋がない平面道路
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春日部市方面への開通記念の
テープカット(昭和50年4月30日)

野田の魅力を発見!!シリーズ「市制施行75周年の歴史(8)」

 国道16号は、都心より半径30キロメートル圏内を走る環状道路で、神奈川・東京・埼玉・千葉の1都3県29市町を結ぶ、総延長約348キロメートルの道路です。
 日本の国道は明治9(1876)年の太政官布告により始まり、国道16号のもととなる環状道路は1930年代の都市計画の一環として構想されましたが実現に至らず、昭和37(1962)年5月に既存道路などを使って国道16号が指定され、翌年から現在のルートでの整備が始まりました。始点と終点はともに横浜にあり、神奈川県や東京都から整備されたため、埼玉県と千葉県側の整備は遅れていました。
 野田市では、柳沢交差点から柏へ向かう部分で整備が先行され昭和45(1970)年4月4日10時に開通しましたが、工事が間に合わず片側1車線での暫定供用となりました。暫定であっても野田市から千葉市まで短時間で結ばれるようになったので、市民生活は大きく向上しました。
 一方で、柳沢から東金野井を抜けて埼玉県へ通じる部分は未整備だったことから、国道16号の早期実現に向けて、野田市長を会長として「国道16号線野田春日部間工事促進期成同盟会」を結成し、国に対し積極的な働きかけを行った結果、用地買収を含め5か年計画で建設されることになりました。昭和50(1975)年に春日部野田間が完成し、国道16号の最後の未整備区間が開通したことで、環状線としての国道16号が完成しました。現在の国道16号は、日本の産業の発展を支える主要な道路で物流トラックや通勤車両などが昼夜を問わず非常に多く通行しています。
 柏市の呼塚交差点から大井交差点までが「日本一渋滞する国道」になった時もあり、国道16号の渋滞が緩和されるよう、野田市は、沿線自治体とともに千葉東葛間広域幹線道路建設促進期成同盟会として、千葉北西連絡道路の早期事業化を求める要望活動を国に行っています。
【参考文献】野田市『野田市報第129号』1965年、野田市『野田市報第154、159号』1967年、野田市『野田市報第164、166、168、170、173号』1968年、野田市『野田市報第178、179、181、185号』1968年、野田市『野田市報第192号』1970年、塚田修一/西田善行『国道16号線スタディーズ』2018年、柳瀬博一『国道16号線』2023年

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