5月市長フォト日記

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ページ番号 1047060 更新日  令和7年6月5日 印刷 大きな文字で印刷

25(日曜日)わんぱく相撲  (インフォマージュアリーナ)

相撲の取組みの様子

わんぱく相撲は、全国の小学校4年生から6年生が参加し、日本国内200地区の予選を経て、全国大会を戦い抜く、国内最大規模の相撲大会です。

1985年にはじめて全国大会が開催されてからちょうど今年で40回目。 スポーツとしての勝ち負けの成果だけではなく、相撲を通じて、「礼」を学び、努力することや周囲への思いやりなどたくさんのことを学んでもらいたいです。

さて、千葉県で12地区ある中、野田場所では、今年は約150人が参加してくれました! 学年ごとのトーナメント方式でみんながっぷり組み合って相撲をとっていましたね。

真剣に頑張れば、お腹もすくというもの!

野田鎌田学園の学生さんたちが作る、ちゃんこやカレーには人だかりができていました。 また、参加賞として手形押しなども楽しみましたね。

みなさん、お疲れ様です。

この後は、4年生から6年生の上位3位は成田市で行われる県大会へ進むそうです。引き続きがんばってください!

挨拶をする市長

参加証の手形をつくる子ども達

野田鎌田学園が運営するちゃんこなどの飲食テント

18日(日曜日) 春風会武道講演会 (春風館道場)

実演の様子

NPO法人野田春風会が毎年行っている武道講演会。今年は、鹿島新當流の宗家 𠮷川常隆さんによる伝統の技の研究や継承などのお話をお聞きすることができました。

鹿島新當流は、なんとその歴史を室町時代にさかのぼるんだとか。 基本的には甲冑での武道を想定した、実戦的な古武道ですので、甲冑の弱点をつく技術を研究してきました。刀や木刀を使用した演武も拝見しましたが、その立ち回には迫力がありましたね。

ここ、春風館道場は100年以上の歴史を持つ武道の聖地。このような場所で、500年以上の歴史を持つ武道の技を見られるというのは実に感慨深いものがあります。

あいさつをする市長

講演する吉川宗家

講演の様子を見守る市長

11(日曜日) 備えあれば患いなし! 水防演習 (江戸川河川敷運動広場)

訓練の様子

連日気温も上がり、春はどこへ行ってしまったのかと思っちゃいます。 梅雨入りも間近ですが、今日は、出水期を前に、消防団員など559名が野田市水防演習に参加しました。

今年は市制施行75周年記念事業として、市民参加型の演習となりました。市内4校の小中学校から希望する児童生徒の皆さんが参加して降雨体験や高所作業車の体験、土のう作りなどを行いました。 野田市は、3方を川に囲まれた街です。その水運により発展してきましたが、同時に大規模な水害の危機にもさらされてきました。 訓練では、堤防の決壊を防ぐ「木流し」や土手などの崩壊を防ぐ「五徳縫い」などの工法を演習し、万が一の水害に備えます。

ここで、皆さんにもお願いです。

自分と家族を水害から守るために、何を準備するか、いつ行動するかを決めたルールを、マイタイムラインと言います。 災害の発生時は誰だってパニックになります。 ただ、地震と違って、風水害はある程度事前の予測ができるので、あらかじめマイタイムラインを決めておくことが有用とされています。

みんなで学びあい、守れるものは少しでも多く守っていきましょう。

敬礼を受ける市長

訓練を観覧する市民

演習の様子

演習の様子

降雨体験車

市役所危機管理課のコーナー

7日(水曜日) 一粒のお米はここから! 東部稲作田植活動 (目吹地区)

田植をする子ども達

東部ふるさと保全会の活動の一環で、今年も田んぼの学校が開催されました。

さて、お米作りの最初の作業はなんだと思いますか? 田植え? いえいえ、そうではないんです。

田植えの前には、まず土を耕し肥料を入れて、田んぼの土を作ります。そこに水を張ったら、その水が漏れないように田んぼに畔も作らなくてはなりません。

一方、田植えに間に合うように、種もみから苗を育てます。それが揃ってはじめて田植えができるんです。

腰をかがめて、泥に足を取られながらの田植えは大変! でも、めったにない体験、楽しかったですか?

お米に限らず、私たちがいただく食べ物は、多くの人の手間ひまをかけて育てられています。ごはんを食べるときにそんなことを思い出して「いただきます」をしてみてください。

きっと「一味違う」ごはんになると思いますよ!

挨拶をする市長

田んぼの学校

田植全景

4日(日曜日) 前橋との繋がり  鈴木貫太郎記念館出前展示へ (群馬県前橋市ヒストリア前橋)

鈴木貫太郎出前展示品の前で

野田市内にある鈴木貫太郎記念館。 内閣総理大臣として日本を終戦に導いた鈴木貫太郎を顕彰する施設ですが、台風による浸水をきっかけに、耐震性にも問題があることが判明し、再建に向けて現在は休館しています。

実は、ほかにも鈴木貫太郎を顕彰し「推し」てくれている団体があります。 群馬県前橋市の前橋鈴木貫太郎顕彰会です。 今日は、設立1周年ということで、貫太郎記念館を飛び出して出前展示を行っている前橋市のヒストリア前橋に当市の学芸員のギャラリートークを聞きに来ました。

ところでなぜ前橋なのでしょう。

貫太郎は、野田市から父親の仕事の関係で前橋に移り住み、そこで10代の6年ほどを過ごしています。

海軍へ士官した後も、前橋の学校などとの交流は続いていたことから前橋の学友やこの土地を大切に想っていたことが分かります。

晩年は、野田市で過ごした貫太郎ですが、貫太郎記念館とその休館のことを知った前橋にゆかりのある有志の方々が、鈴木貫太郎を顕彰しようと設立したのが前橋鈴木貫太郎顕彰会です。 鈴木貫太郎を主役としたNHK大河ドラマを目指すとのことですが、貫太郎の功績を広めるため、野田市の鈴木貫太郎記念館の再建にも支援をいただいているんです。

野田市も前橋のみなさんとともに、平和を願った貫太郎の想いが広く共感されることを祈ってやみません。

展示入口

ギャラリートークの様子

貸出絵画の説明をする学芸員

3日(土曜日) 野田市が75歳になりました!  野田市制75周年記念式典 (野田ガスホール) 

式典でご挨拶する市長

今から75年前の昭和25年。 野田町と旭村、梅郷村と七福村が合併して、千葉県では8番目の市として人口4万人の野田市は産声を上げました。

サンフランシスコ講和条約が締結されたのが昭和26年。 野田市の誕生は、終戦から5年、テレビ放送の開始などようやく生活が立ち直りつつあった頃です。

それから、75年。

旧関宿町、野田市それぞれ庁舎も大きく建て替えられ、関宿城博物館や鈴木貫太郎記念館などの文化施設や清水公園などのレジャー施設には、家族や友人達で楽しむ姿があふれています。 都市化が進む中でも、こうのとりの里など自然と共存できる街となりました。人が産業が集まり、関宿町と合併した野田市の人口は15万人を超えました。 野田市民をはじめ野田市を愛してくださるたくさんの人たちによって、このような素晴らしい街に育ったのです。 そうして迎えたこの日を記念して、本日、市政の発展に特にご貢献いただいた12名の方に、特別功労表彰を行いました。

今日の野田市制施行75周年記念式典には、約500人もの方に参列いただき、ありがとうございました。 次は100歳にむけて、健やかな野田市であれるよう皆さんとともに新たなスタートを切りたいと思います。

今年は、ギネスワールドレコードへの挑戦など、誰もが楽しめる記念イベントがたくさん!

ぜひ、ホームページ等でチェックしてくださいね。

市特別功労者記念写真

客席

野田市の歩み映像

市民憲章を唱和する子ども達

特別功労者表彰式で表彰する市長

特別功労者へ表彰する市長

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