シリーズ11 人々の願いは今も昔も健康で長生き

ツイッターでツイート
フェイスブックでシェア

ページ番号 1037404 更新日  令和5年4月1日 印刷 大きな文字で印刷

1
県内最古の青面金剛像の庚申塔(関宿台町の不動堂)
市指定有形文化財の猿田彦像の庚申塔 (野田の須賀神社)
市指定有形文化財の猿田彦像の庚申塔(野田の須賀神社)
文字だけの庚申塔 (上花輪の香取神社)
文字だけの庚申塔(上花輪の香取神社)
東金野井にて、 板碑
東金野井にて、板碑
青面金剛 (上花輪、香取神社入り口)
青面金剛(上花輪、香取神社入り口)
青面金剛の下にある3猿 (上花輪、香取神社入り口)
青面金剛の下にある3猿(上花輪、香取神社入り口)
上花輪、 香取神社裏
上花輪、香取神社裏

野田の魅力を発見!!

 昔の暦の十干十二支では60日に1度、庚申の日が巡ってきます。中国の不老長生を目指す道教の教えでは、この夜に眠ると体内にいる三尸という虫が天に昇りその人の罪を告げ口すると寿命が縮まると言われていたため、この日は虫が出ないように徹夜して過ごしたそうです。この教えに由来すると言われる庚申待は、「枕草子」や「宇治拾遺物語」などにも記録されているほど古くからの民俗行事で、江戸時代に全国的に大流行しました。当時の人々は長寿を願い、庚申の日は眠らないように、みんなで集まって夜を徹して語り合う風習が生まれました。そしてそれは、昔話や伝説などを伝承していく場として、また、村の決め事や相談、農作業の知識や技術の情報交換の場にもなりました。徐々に米・野菜・お金などを持ち寄り、みんなで飲食・歓談して過ごす楽しい集まりになっていきました。この庚申待を主に33回達成した記念に造立したのが庚申塔といわれ、長寿や健康に加え、家内安全や五穀豊穣、現世や来世への祈りなども碑面に刻まれました。全国的に分布する庚申塔は関東地方に多く残っており、特に東葛飾地域には東京都東部14区の2倍の数があります。さらに野田市内は群を抜いて多く、840基(2位は柏で483基)も確認されています。庚申塔の本尊は定まっておらず、江戸時代初期は仏教系の青面金剛像や地蔵菩薩、阿弥陀如来などの仏像を刻むものが多く、江戸時代後期になると神道系の猿田彦の神像を刻むものや文字だけのものが増えていきました。特に猿田彦の庚申塔が100基を超えるのは野田市以外にありません。市内の庚申塔の6割は、江戸時代後期に造立されたものであることから、舟運や醤油醸造で経済的に豊かになったことで、費用がかかる庚申塔が数多く造られたと考えられます。そのため、「健康で長生きしたい」という人々の共通の願いが石塔という形で、市内に数多く残されました。さらに、1,000か所の庚申塔を巡った記念に造られた千庚申など、市内には珍しい庚申塔もあリます。庚申塔がある風景は、野田の魅力的な風景です。
【参考文献】石田年子「東葛地方の庚申信仰」『研究報告』第23号千葉県立関宿城博物館2019年、石田年子「野田市の庚申塔について」『研究報告』第25号千葉県立関宿城博物館2021年、戸向朝夫「野田地方における庚申信仰」『野田市史研究』第2号野田市1991年

 

ご意見をお聞かせください

質問:このページの内容は役に立ちましたか?
質問:このページの内容はわかりやすかったですか?
質問:このページは見つけやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

PR推進室
〒278-8550 千葉県野田市鶴奉7番地の1
電話:04-7199-2090
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。